2023年5月~7月

0524

思想の根本が効率化をガン無視した脳筋スポ根人間なのでそれなりの時間と脳のリソースを費やせば大抵の事はなんとかなるだろうという考えがあって、ここ1ヶ月くらいはそのノリで四六時中、将来の仕事にどこかしらで役立ちそうなことを考えている、エンジンかかると私はえらい。脚本、台本、舞台、新喜劇に関連するような学校系の内容、本やら映画やら漫画といった作品の構造、頭を鍛えたくてやってる推論など、性格に影響出るほどの変化ではないけど明らかに適化されてきてる感じがする。現代文的な「テキストをそのまま読み取る」力じゃなくて、対象が表現されることによって生まれる効果や影響ってものを前段に置きつつ考える癖がついた 分解も早くなった気がする。SS読んでて感じたが、類型化して抽象的に捉えてどこが面白いのか言語化して〜みたいな一連の流れの構築が上手になってきた感じ これを多分ほとんど一生やるんだろうな 飽きなければ良いが

 

0526

混沌詩社っていうメモだけ残されていた。なんか良いのでまた残す。日記です。

友達二人と遊んだ。新宿駅から3分も歩かない知らん居酒屋が1軒目だったけど見事なカス居酒屋で笑った。頼んだものが来ない(会計に計上される)、アルコールがなんか濃い、客層が治安悪い、接客の人のコミュニケーションが不自然、高い。

友達の一人はなんなんだ!ってキレていたけど私ともう1人はなんなら笑ってた。以前にカス居酒屋あるあるを共有してたおかげもあると思う。

私は自分が提案した店がカス居酒屋であった場合に気を病むので、その際はできるかぎりのことをする。以前に行った店ではトイレの洗面台の鏡が汚かったから(こんな鏡まで汚い店に俺らを連れてきやがって)と思われるのが怖かったから鏡を拭いた。メニューがなんかベトベトしてる時にも拭く。店員を呼んでもなかなか来ない時にはなんとか間を持たす。レモンの酸味がエグい時にはとぼけた素振りでレモンを全て食う。圧倒的当事者意識。要らない。なんだその気遣い。

だからこそ自分がカス居酒屋に連れていかれても何ら気にしないし、なんなら人生経験だと思って色々と観察する。あるあるを探す。ってことで今日見つけたあるあるを共有します。脚色アリ

・レジのエリアが人間一人ほどの広さしかない
客のためにスペースを作ってるのは見上げた根性だけど、座席もさして広くはない

・店員の年齢がわからない
国籍もわからないしなんなら人間らしさがない。プライベート何してんの? 営業時間になったら培養液から出てきて、終わったら培養液にまた戻ってるのではないか。

・よその席の客たちの属性がわからない
わかりやすくサラリーマン3人組みたいなのもいれば、地雷っぽい前髪ぱっつん女といかにも会社の上司みたいなおっさんと若い男性が卓を囲んでいる。会社か?アフター的なのか? にしては時間早いな。

・厨房が覗けるし生ゴミの袋も見える
店員の出入りの動線上にゴミ袋を置くんじゃない。見えちゃダメだろ。

・トイレが男女別になってない
今日行ったところは男女別だったけど、友達(女性)がトイレに入ったら男性が居たらしい、女性用に。治安。

・酒は普通の値段だけど食べ物が高い
焼き鳥1本400円とかしてた。1ドリンク2フードオーダー制なので合理的ではある。んでアルコールを濃くする。食べ物の味は誤魔化せる。関係あるか分からんがアイスクリームも高かった。

・店員の靴がスリッポン
歩き回るし人手が足りてないからこれは合理的。

・ランチがあるけど微妙
テナント代は固定だしね。焼き鳥定食950円の1種だった、ギリ店員1人でも回せそうだけど競合に勝てないだろって思っちゃう。

食べログを見ると営業形態が何回か変わっている
2年前は中華料理屋だったらしい。その前は名前から察するに魚系の居酒屋。ピックアップクチコミが星1、取り繕えよ。ほかのドリンクメニューよりも角ハイの値上げ率が高い。売れ筋だったのか?

食べログの点数のアルゴリズムどんなんなんだろう。同一アカウントからの複数投稿底上げを止めるために目減りしていくことにはなってそう。単純な平均値じゃないのは当然なんだけど。レビュー率とか見てんかな(行った人数に対して好意的なレビューした人が多ければ点数アップ)。日時が新しい点数の方が重視されてるだろうな。レビュアーの質(行った件数や評価数)も少なからず加味されてるはず。そこまで組み込むなら点数だけじゃなくてヒストグラムとか見せてほしい感はある、何だこの日記。

 

0528

暑い。この時期の暑さは「まだ序盤だゾ」感を出してくるタイプの暑さなのがタチが悪い。気温上昇しんのすけ

最近なぜかコーヒーにハマりつつあって、コンビニで買って飲みながら散歩するのが好きになってきている。昨日のことなんだけど、そういう風に散歩してたら道端にある町内の掲示板に訃報が載っているのを発見した。こういう仕組みってまだ残っているのか、と思ったけど回覧板回すほど小さな町でもないのでこれくらいが丁度いいのかもしれない。

人が死んだことを人に伝える、っていうのが掲示板あるいはそれに載る訃報の役目だとして、一般化して「AがBしたことをCに伝える」としたらショートショートにありそうな設定考えられそうだな、と思った。どういう理屈だよって今考えると思うけど、散歩の自由さがそうさせた。

「AがBしたことをCに伝える」掲示

・魚屋が失踪したことを猫に伝える掲示
高さ30cmくらいしかない掲示板の周りに猫が何匹も群がって、我先にと魚屋へ向かう

・桂馬が成ったことを藤井聡太に伝える掲示
まあ喜ぶか、将棋好きだし。「誰のどこの対局での話だよ、藤井聡太の将棋トレーニング!」

 

0530

絶対に叶わない将来の夢がある。それはデスゲームに参加することだ。なんで参加したいかと言うとそこそこやれるんじゃないかという思い上がった精神性に依拠する。

友達から「デスゲームの主人公っぽい見た目と性格してる」って秋田で言われて以来、「私が…デスゲーム…!?」って思うようになった。親にジャニーズ勝手に申し込まれた人みたいに。

デスゲームの参加者に求められる要素、割と満たしている気がする

・謎解きが得意
得意って言っていいかわからんが好きではある

 ・そこそこの度胸がある
賭け主たちがモニターで監視してると思うと俄然やる気になるタイプだと思う 飛びますよ、断崖絶壁の向こう側へ

・生き残るための知識が豊富
ディスカバリーチャンネルでベア・グリルスの動画とか無人島サバイバルとか観てたから、今回の会場が無人島ないしは未開のジャングルならなんとかなるかもしれない。ウチワサボテンを探せ。

・食糧危機に強い
1日1食で済ますことが多いから、ウチワサボテンで賄えると思う あとヤシの実のジュース 場所確定したの?

・肺活量がある
最長で4分息を止めていられるので、密室の中に水が注入されて天井と水面の間のわずかな酸素しか吸えないって状況になっても私は他の人より数分間は長持ちするから、その間に潜水して謎を解いて排水口を見つけ出せると思う

リスクヘッジが上手い
クローズド・サークル的な場面になった場合、ずっとそこに居るのは危険なので私だけは真っ先にそこを出ようと試みると思う。そんなとこにずっと居られない、殺人鬼と同じ屋根の下で1晩過ごすなんてまっぴらごめんだ。

・デスゲームモノの知識が豊富
これ言ったら終わりだろってやつだけど、実際にそう。高校生の時に一通り読んだ気がする。傾向と対策で挑むぜ、って言って思ったけど絶対死ぬなこういうタイプ、傾向的に死ぬ

 

0602

風がつよい、家の中に食べ物がなかったから仕方なく買い物に出たが1分で後悔して2分で足元がじゃぶじゃぶになっていた。事故と低気圧がなければ台風のイベント感とか、風に顔をもみくちゃにされる感じは割と好きなんだけど。

最寄り前で済ます予定だったが、どうせ乗りかかった船、そして濡れきった体だったので武蔵小杉まで出ることにした。鶏白湯を食べた。加水率が高い気がしましたね、加水率よう知らんけど

食後、こんな雨の中でもヤニカス共は屋外の喫煙所に屯しているのか?という興味で覗いてみたら4人くらい居た。友人らしいおばさん3人組が傘もささずに談笑しながら吸っていた、天晴れ。

高2の時同じクラスだった草野さんがnoteやってたから読んだんだけどすごく好きな文章だった。なんというか、目の前に居て趣味のことについて話してくれているみたいな等身大さで読みやすい。

普段ひとと話す時は何かしら共通の話題があって、共同作業的に会話を成り立たせるものだから、日記のようにその人の世界観100%がわかるものはとても面白い。頭の中を人に出すのって中々に大変だし怖い行いなのでその勇気もよい、今の自分も褒めています。

というか私は知っている人が書いた文章ならなんでも好きかもしれない。文体とか言葉選びとか、高級でなくてもいいのでその人個人がわかる文章は読んでて楽しい。何だこの日記、阿川佐和子のエッセイかよ。

いまこの日記を書いている現在、武蔵小杉→羽沢への電車に乗っているんだけど、目の前の席に蓮さん(私じゃない、そりゃそう。ユズリハの先輩)が居て、私はいまメガネしてるしマスクしてないからバレないとは思うが、何となく声かけるか迷う。話すことねえしな。金夜だから以前のように和田のダーツバーに連行される可能性もある、ないか? ので大人しく寝た振りを貫いて他人顔をしています。

 

0607

年に一度の生活リズム終わり日だ。なんか知らんけどずっと眠いし寝ても寝ても寝てもそれが取れない。見る夢は全部過去の記憶から抜粋・再構築された悪夢だった。最後は某先輩の家に居て、ある時から連絡取らなくなったから借りっぱなしになってるマイヘアのベルトを奪い取られそうになったところで目が覚めた。いまはとりあえずラーメン食って明日の課題と発表のための準備をしようと武蔵小杉に向かっている。
創作的な能力の以外にもそれを正しく伝える小技があった方が将来役に立つだろう、という狙いからカーネギーの話し方入門みたいな本を読んだ。「念入りに準備しろ!」ってことが30回くらい言われてた気がする。あとは話すテンポとか強弱とか、既に知ってることを手を替え品を替え説明されるから30分くらいで読み終わった。私は相当に気合いの入った人見知りだけど人と話すのは好きなんだ、相手が不特定多数もしくは大して知らん人間になると滅法弱くなるだけで。じゃあダメだろ。
母方の家系の約半分が睡眠に難を抱えている生粋のネムネム血筋なんだけど、正月に熊本に行った時に小5くらいの私が夜中3時にトイレに起きたら15人くらい酒盛りしてたのは今思うと寝れない人らだったんだと思う。これで頭の回転はめっちゃ早いとかだったら天才っぽいなってなるけど、大学に進んだのは親族では私が10年振りくらいなのでそうでもない。ただのネムネム集団。生活リズムが終わってて夕方とかに目が覚めた時は日単位で生産性を取り返すために何かしらアウトプットをしようとしていたんだけど、最近になってそれは意味が無いことに気がついた。なぜならメンタルが終わった状態なので、狂った出力系から生み出される製品にろくなものは見込めない。大人しく飯を食って、人と喋ったり本を読んだりしているのがいい気がする。
何がきっかけかわからんけどここ一週間でタモリについて調べてる。高校のOBだというアイデンティティ的な心入れがあるんだろうか、いや単純に面白いからだと思う。ガロとか中島らもとか、前時代的なナンセンスで不条理な世界観を人生に抱えてる人に対する憧れがある。あとはアングラっぽいくせに何してもセンスがある人、伊丹十三がわかりやすい。天才児学級に在籍してた映画監督、って格好良いんだよな、ラノベの設定だろ。電車がいま武蔵小杉に着いた。羽沢と武蔵小杉の間は15分かかるの首都圏だと最長クラスらしい。1000文字も不生産的な文章を生産してしまえる長さ。終わりの日なのでこの日記の締めくくり方も全くもって思いつかない。「夢であってくれ、と叫びながら酒を飲み干す逆芝浜」っていうのを思いついたのでそれをオチにかえて終わる。地獄では?

 

0609

なう(2023/06/10 00:33:20)
鶴くんが電話に入ってくるまでの幾分かの間にどれだけの文章が書けるかチャレンジの日記

自分の好きなものを人に伝えるのって難しいな、という気づきがあった日だった。まぁ元々気づいてはいたんですが…(気づきアピ)

課題として自分の好きなもの(できるだけニッチなものがいい)についてプレゼンをしろというのがあり、程よくニッチ(人口が少なそう)かつキャッチーな短歌を選んだ。んでもって今は過去に見た中で印象に残っている短歌を原典をあたりつつまとめている段階。こういう時に記憶力ないのが腹立たしい。「めっちゃ良かった!」という印象といくつかの名詞だけが記憶に残されていて、作者やどこで読んだものかっていう重要な情報が抜け落ちている。ベイカーベイカーパラドクスの酷いバージョンだ。

短歌の良さは端的に言うと他人の視点で美しく客体を見れるようになることと、日常の些細なことに風情のようなものを感じることができるようになること、感受性が多少なりとも育まれることだと思ってる。んだけど、「良さ」という指定で考えてしまったからか、以上の3つはどれもある意味で実用性重視で選んでしまっている。その辺を度外視した場合の短歌の良さは単純に綺麗なことになるんだけど、プレゼンって良さを人に伝えるってことでいいんだよね。不安です。

短歌の話は終わり。次はコーヒーの話。最近コーヒーにハマりつつあります、苦くても飲めるようになったのが成長。美味しさみたいなものもジワジワとわかるようになった気がする。つってもまだカフェオレの方が好きだし、先日薦められたカフェラテの方が好き。というかカフェラテすごく良かった、カフェオレとブラックの中間みたいな感じで。もしかしてだけど今わたしすごくアホなこと言ってる気がする。コーヒー素人なのでなーんもわからん、燃料の一種だと思っていた。そんな飲まねえくせに。コーヒーの話終わり。まだ入ってこねえなアイツら。なう(2023/06/10 00:40:53)

私は人と話すのは好きなんだけど、人見知りをこうして自称しているわけで、いやそのどちらも嘘ではない。恐らくだけど気まずさみたいなものが苦手で、話すネタが尽きた時に流れる静寂や(なんか話振れや)オーラを勝手に感じ取ってしまうことが原因だと思う。好きな人と好きなことを喋るのはすごく好きです、みんなそうだわボケ。はよ電話入ってこんかい。10分くらい待ってるわ。

ねむい、眠過ぎて涅ネムになる。BLEACHを通っていない成人男性は居ないと思っている。小学生だか中学生の時に夜一さんを見て初めて恋心みたいなものが芽生えた人間がほとんどだろ!違うか!んでもって初の嫉妬は浦原が夜一のケツを叩いた瞬間だろ、分かってんだよこっち見ろ。ブリーチの続編まだなのか。ゴクイメイメイヘンみたいな名前のヤツ。予測変換で出なかったということは間違ったんだろうな。呪術廻戦の作者がBLEACHのオタクなことは周知の事実らしいんだけど、その呪術が詠唱関連でエモいことをしてくれたからそれを読んだ時は胸が高鳴った。詠唱は破棄するものではなかった。男心が擽られる。大量に文章を書いていると思い出すのは西尾維新が自分の展示会でリアルタイムタイピングをする展示を出していたこと。迷いとかも見えたけど、シンプルに打ち込む速度が早すぎて笑ってしまった。そりゃあんだけ打てれば多作になるわ。いやアイデアが枯渇しないのがすごい。なう(2023/06/10 00:47:43) 遅いな。何してんの。

ラクルニキがなんか展開するらしいってことを聞いた。その程度の情報しか知らない、Twitterがいまカスなので世間に疎くなっていく。高校の時に一部の世界で流行って私ももれなくはじめたが、私は女性の髪型のアレンジみたいなものを見るのが好きなのでそのためだけに続けていた。多分全部見たから辞めた記憶がある。嘘かも。別のゲームで女性キャラを全員ハーフアップとボブにして辞めた。鶴くん入ってきたので辞めます。なう(2023/06/10 00:50:02)

 

0610

昼過ぎに起きて昨晩のあやふやな記憶を整理して喉が痛くて塾に行った日だった。特筆すべき日ではないけど日記は習慣化させたいから書く。

小学生の頃、夏休みの日記的なの嫌いだった記憶があるがそれは多分書ける分量が少なかったからだと思う。一行日記だったら「その日に(目立つような)何をしたか」しか書けないから面白くない。毎日2000字書かすんや、出来事とそれに対する心情の揺れ動きと、それらを俯瞰する自分の精神に不意に去来する虚無感のようなものを書かせろ。そうしたら私のような子どもが出来上がる。

塾、高3の子にひとり、異様に趣味やら考えてることが合う子がいて、成績的にも目標的にも割と余裕があるから雑な話をする余裕がある。お互いに自分の趣味とか考えとか近況とかを話す。すごく国語的な能力が高くて、こっちが言ったことを理解するのも早ければ、自分が何を言わんとしているかを言葉選びなどで伝えるのも上手くてたのしい。

私「なんその仰々しいカメラ」

生徒(以下,生)「ポートレートとか撮る用の一眼で」

私「いいな、自分で買ったにしては年季入ってんね」

生「好きな写真家がいて、亀倉雄策っていう人なんですけど、その雰囲気の写真が撮れるやつを買いました」

私「知ってるかも、オリンピックの人やっけ」

生「そうそれです、なんかあの人の撮る雰囲気すごく好きで」

私「いいよね、オリンピックのポスターのノリで相撲のポスターとか撮ってほしい」

生「黒地に彩度上げた力士の肌色を映えさせる感じで」

私「わかる。無駄なの挟まずにシンプルにパキっとしててほしい」

生「僕メビウスのパッケージが好きで」

私「わかるけど急に柄が宇宙になったな」

生「なんか丸が好きなのかもしれない」

私「なんでメビウスのパッケージなんか知ってるんだ」

生「父親がメビウスなんですよね、父親も亀倉雄策好きで」

私「ジャケ買いしてるみたいな言い方」

生「オススメなので是非」

私「メビウスが?亀倉雄策が?」

生「亀倉雄策のつもりだったんですけどメビウスでも良いです、父親は美味いつってました」

私「そりゃそうだろ吸ってんだから。オプションならメンヘラになるけど」

生「無印ですね、無感情な人です」

私「味ないの苦手だから私は吸うとしたらオプションパープルにするわ」

生「メンヘラだからオプションにするのか、オプションにしたからメンヘラになるのか問題ありますね」

私「ヤニカスパブロフの犬やんけ」

……

ってことでメビウスの紫のやつを買っていまさっき吸ってみました、あんまり美味しくなかったです(終)

 

0611

蒸し暑い。訳分からんくらい辛いものを食べて顔を汗ビショにするのが私なりの美容法、関係の有無は本当にわからんが小さめのニキビくらいなら消える。

昼過ぎに起きて課題の体裁整えて1個出した。後は自己紹介としての短歌プレゼンと新しい台本を明日の昼までに出せば終わり。アイデア出すのは得意だけど膨らませるのが苦しい。

作業用BGMはプレイリストの中からランダムで流れるようにしてて、今日はクリープハイプ率が高かった。それで後輩の女の子を思い出して、その子は自覚的なビッチでありつつ議論に強いという謎キメラなので健全に仲がいい。そして私はその子の人生観みたいなものがすごく好き。

ただただ様々な男とワンナイトを繰り返し(2回目は無いらしい)、たまに活動(活動)をして高いモノに身をくるんで、しかし大学では至極真面目に授業を聞いている。「なぜそんなに男を捕まえるんだ?」と聞くと「わからないけど恐らく承認欲求の充足を他者に求めているんだと思います(原文ママ)」と答えられて、論理〜〜ってなった。新しい男を見つける時はクラブに行くらしい、大学とかバ先だとコミュニティが破綻するから。クラブ処女(そんな言葉はない)を装って、言葉巧みに籠絡するんだとか。疲れない?って聞いたら、「勿論疲れるけど、自分が得たチヤホヤの喜びの代償なのでむしろ心地いい、なんで皆やらないんだろう」って言われた、疲れるからだろ。 自分と全然価値観が違う(が理解できないほど異文化ではない)人の話を聞くのはすごく楽しい。ダイバーシティとはこういう人の存在すらも楽しむことだと思う。モテ方聞いたら「声量と話すテンポと語彙力を相手に合わせたらいいですよ」っていう具体的なアドバイスをくれる。ありがたい存在。

 

0615

体調わるい、テレビで見てた有名な芸人にライブ以外で生で会えるってことで身体にグリンガムのムチ打って外に出た。授業というよりかは質疑応答でみんな当たり障りないことしか聞けてなかった(私もそう)ので面白さはボチボチ。まだちょっと干されてるらしい、わかる。腫れ物オーラが出ていた(失礼)。

雨の日は低気圧で頭痛くなってテンション下がっちゃうのと、単純に傘をさすのが下手で腰から下がビショビショになっちゃう。ズボン濡れるのはまだ良いとして靴下がしっとりしてくるのホンマにダメ。生きる気力がなくなっていく。

私の将来の目標のひとつが、世にも奇妙な物語の脚本を書くことなので思いついたら何かを書くようにしている。フジテレビのヤングシナリオ大賞でそれなりの結果残して事務所に入って声かかるのを待つのが王道らしい。人を笑わせるより感動や恐怖させる方が簡単だとどこかで聞いたことがある。その思い上がった考えは確かにこわいので正解だ。世にも奇妙な物語は1990年から放映されていて過去回のあらすじが全て読めるので時間ある時に見ているけど、なんかもう全部やってるんじゃないかってなる。サザエさんと同じ網羅度な気すらする。ホラー、観るのは怖いから苦手だけど考えるのは楽しい。自分がビビリだから何が怖いかがわかるんだと思う。

 

0618 

徹夜をした次の日は2日分+2~3時間寝る体なので、今日は朝4時から21時までの約17時間寝た、途中2回くらい起きて時間見て(まだ寝とくか)をした。明日の飛行機に間に合わせるための作戦でもある。

今は買い物と飯のために武蔵小杉に行こうとしている。外を歩くと若干の涼しさと身体の浮遊感に気づく。寝まくった後に身体使うとなんか他人の身体を生きてる感覚がする。集中力が普段の倍くらいあって、いつもは考え事してたらすぐ他のことに発想が飛ぶんだけどそれがないのですごく便利。いつもこうならめっちゃいいのに。

結局母親と会うことになったので駅周辺で飯屋探してる。あと友達と行く飯屋と、自分が泊まるサウナの予約と、良さげな土産の検索。旅行はこういう時間がいちばん楽しい。短期計画立てるのは苦じゃない。長期は後の自分が勝手に組み替えてしまうからダメ。

火曜日に制作と打ち合わせがなければもっと長く居れたんだけど、うーん。実家があまり好きじゃない(寝泊まりしたくない)からこのくらいの長さでちょこちょこ帰るのが丁度いい。眠い。今の生活はざっくり言うと何らかのアイデアを1日20個くらい作って出してどっかで使って評価されたいサイクルを回しているので、今回の帰省のような突発イベは良い。

 

0620

ライブ企画を作る実践授業なので班でシミュレーションをした。座布団強奪大喜利をした、座布団がなかったので普通に4人で大喜利をした。友達やない人と大喜利するの初めてだったから普通に楽しかった、難しかった。赤嶺総理大喜利の手法論読んでて良かった。企画は厳密に作っても良くなくて、遊びがないと想像の範疇を超えない気がする。けど最低保証の面白ポイントみたいなのは私らが作るべきで、考えることが多い。

授業終わり皆でくら寿司に行った。7人組で私は年齢だと下から3番目(19女21男がいる)だった。後はみんな社会人。意外と平均が高い。んで面白かったのが、作家コースに入るような人間らの他人との接し方にある程度の共通項が見られたことだった。とりあえず距離感が縮まらない、その人らだけかも知らんが、でも話は盛り上がる、しかしデカい笑いは起きない。私もそうだからわかるが、センスありげにしてる他人の前で迂闊に笑えない、けど面白いことは言いたいしそれなりに言えるから会話は弾む傾向がある、あと話題がすぐ飛ぶしすぐ戻ってこれる。個人的には楽だった。1年過ごしてりゃ何かしら磨かれそうだし、気は張る。心底負けず嫌いというかプライドが高いだけの人間。19歳の女の子に「気を使ったコミュニケーションしてます?」って言われた、「同類っぽそう」って返したらそうですって言われた。自己肯定感下がんないようにしたいよね、っていう話と、一人暮らしで部屋が動線以外散らかってる話をした、似た人が集まる世界だ。

 

0624

Talkbackっていうスマホの機能をkindleに使うと、合成音声ではあるけどあらゆる本がオーディオブックと化すことに気づいて、小説じゃない本全部これでええやんけ、となった。YouTubeは基本的に全部2倍速で観るし受験生の時はラジオを2.5倍速で時短をしてまで聴いていたので、これもなんの違和感もなく聴ける。2.5倍速の男性の声はほとんどボカロ。可不なまである。

最近なんとなく人との接し方が変わった気がする、心構えが変わっただけだけど、良い意味で「他人は他人だ」と理解できたことと(これまでわかってなかった)、コミュニケーション的なミスをしたとしても後から取り返せるからとりあえず積極的に会話をしようという心持ち。コミュ力がやっとできた、今回こそマジ。慌てなくなって堂々とできるイメージ。自分以外の他人との会話について1度のミスで関係性が破綻するような勝手な不安を覚えていたのかも、んなこたない。ちゃんと我を出していいしリカバリーできるだけのコミュ力はお互いにある、昨日くらいに人と話しててやっとそれに思い至った。生徒やら社員やらとそのメンタルで接してみたけど超やりやすい。これが進歩かどうかは果たしてわからんが最近は色々と精神的に成長している気が(気が)する。これがハナからできてたらもっと色々違った人間関係が構築されていたんだろうな、と思いつつ、今の人間関係にも十二分に満足しているので無問題。

 

0704

人になにかを伝えるのが苦手で、要は説明力が無いって話なんだけど、考え事をするときに自分用のロジックで動かしてるから外部出力する時に文字化けが起こる。噛んだりもする。比喩もめちゃくちゃになる。

カーニーの人が『時代の流れに逆行しているとは認識しており、また、会社の総意ではないですが、私個人としては、「思考とは何か」、「問題解決とはどんな頭の営みか」、「仮説とは何か」などを真剣に考え続ける人と働きたい』って言ってて、わかる〜〜〜〜ってなった。ある種の知的好奇心って言い換えられると思うが、多分この人は知的好奇心ある人と働きたいというより、それが無い人と意思疎通が難しいって言いたいんだと思う(強引解釈)。

話すことが多い鶴・村が多分このタイプで(というかこういう話ばっかしてきた)、私の幼稚な日本語でも1を聞いて7くらいわかってくれていたから今なお言語化が苦手な自覚がある。甘やかされて育ったみたいな書き方してる。だから作文と読解は得意だけど言語が思考に追いついていない歪さがある。

そして多分だけど今後一緒に働く人に上記のようなタイプは少数派で、となると私にとって伝え方の重要性が飛躍的に高まる。なんか難しいこと言ってるよね、って下の方から唾吐かれて死にたくないので説明上手にならないといけない。視覚的理解が有用そうなのでパワポ的なデザインセンスも欲しい。一方で考え事が好きな性質が目立って、個性として強みにもなりそう、ということでなんか答え出ない問題を持ってる人は藁としての私に練習問題をください。

 

0706

寝付きが悪いので高校の時から睡眠薬を服用している。去年から家の近くに内科ができたのでそこの医者にかかっているが、その人の言葉遣いが丁寧なのに時折フランクになるところが面白い。

医者「1ヶ月ぶりか〜どんな感じですか?」

私「トリアゾラム、効き目はいいんですけどやっぱ効果時間が服用から2時間後なの使いにくいんですよね」

医者「あ〜〜」パソコンカタカタ 「覚醒ってどんなもんだっけ?」

私「中途も早朝もほとんど無いですね」

医者「あ〜〜〜〜 薬効的に効果早くしたいのなら前のブロチゾラムに戻すってのも選択肢ですね」

私「そうですね……入り口だけスパンッてしてくれれば個人的には有難いんで」

医者「寝る前頭冴えちゃう系だったよね、あっほら考え事するって書いてる」

私「冴えちゃう系ですね(響きが面白くてオウム返ししてるだけ)」

医者「ブロチゾラム出しときましょうか、とりあえず1ヶ月分で様子見て、これで合わないなと思ったらまた横浜駅の方のクリニック行ってもらうしかないね笑」

私「あぁ……あそこ遠いんで頑張って寝ます」

見た目が7割型、所ジョージなところも個人的には好き。薬効とか薬理みたいな聞き取って理解するの難しい単語を説明もなく言ってくるところも私への信頼だと思ってる。メンヘラみたいだな、終わりです。

 

0707

大きな物語として2010年代後半から現在にかけて、「エモい恋愛物語」が構築されてるように感じる。エモいとしか形容できないくらいにまだ未発達なそのジャンルには花束みたいな恋をしたとか愛がなんだとか明け方の若者たちみたいな、上手く言語化できない共通点を持った作品群が含まれている。中央線沿いっぽさ、運命的な出会い、共通の趣味、周りとは違う私たち、2人だけの世界、結婚という前時代的価値観とのそぐわなさ……みたいな、「らしさ」だけがなんとなくある作品たち。全部観て全部面白いと感じたけど全部に「これに本気で感動してる人とは仲良くなれないな」って思って、もしかするとサブカルしぐさとして観客全員「これに本気で感動してる人とは仲良くなれないな」って思っているのかもしれない。だとしたらマーケティングの成功です。以下日記。

身の回りの観察結果なんだけど、しっかり者の一人っ子の人って甘やかしてくれる年上の彼氏・彼女的な人に驚くほど沼っている気がする。んでもって弟・妹が居る人は年下は恋愛対象にならない傾向、そう考えると年下と付き合うのはどんな人間なんだ? なんでこういうことを考えているかというと、恋愛あるあるみたいなのを押さえておくと何を作るにも応用が利きそうだからです。年下と付き合う人間は性格破綻者のしっかり者です。年上と付き合う人間は日々の抑圧が大きい人です。なんも見れてないな世の中。こういうテーマについて他人と無限に話したいんだけど、これは恋バナを期待する人からしたらグロテスクな観察に映るから話し相手がほとんど居ない。悪意ある偏見作りではなく、単純な興味と科学的分析をしたい。社会学であって、上野千鶴子も多分好きだと思う。違います。

 

0709

毎年夏は何らかの目標を立てている。晩夏に手元に達成物がないと割に合わないくらいにはしんどい季節なので。
暑さに弱い、汗かきだし、水飲み鳥だし。制約と誓約みたいなノリで、言ったからには頑張らなければならない。今夏の目標は大きく分けて①健康な生活と肉体を得る②コンテンツを摂取する③コンテンツ(の元となるアイデア)を大量に出す、の3つで、①ができれば後の2つは勝手にできそう。目標にできるくらいには平時より質と量をデカくしなければならない。ビタミン系のサプリ飲んではよ寝て清潔感を保ってれば精神的にも身体的にも健康でいられる。

「勉強だと思ってネタとかコンテンツ観るのしんどい」って周りで言ってる人がいる、私は全然そんなことなかったっぽい。そもそも何かしら得ようとして作品観る性質だったらしい、適性。まず好きなもんだから苦じゃないし、勉強だと思うなっていう話だ。隙間に何か観る習慣がついたのと、4月にアホほど本読んだおかげで速読できるようになって絶対量が増えた。実際そこまでお笑い観れてないのは気がかり(?)で、ワーキャーが多いだけなので杞憂なのかもしらんが文脈知らんのは問題な気がする。神保町に出てる芸人のネタが最近は好きです、なんというかちょうど世代なんだろうな、という感覚、ワードセンスとか題材とか。コント作って人にやってもらうってのを早くやりたい、恥ずかしいんだろうか。発想力的なセンスが足んない、何したらいいの? 壁打ち? 日記書くようになって考えてることを形にするのはだいぶ流れ良くなった気がする、経験なんだろうな、という感じ

 

0713

サウナに行った。1番温度高いところに推奨時間の1.5倍居て水風呂に3分くらい体沈めて一発で出るようにしている。物を大事にしない性格、そう。

外の風呂入るメリットの一つは家帰ってすぐに寝れることだと思う。風呂のターンが消えるのはデカい。首から下の毛全部要らないのでいつか永久脱毛したい、身体の模型作るために当てる3Dデータ計るみたいな方法で一発で毛を焼き殺してほしい。

人との会話が苦手だと思い込んでたけど、本質は会話文を知らないだけな気がしてきた。意味と記号のうちの記号をわかってないようなイメージ。他の人が会話の時にどういう言葉遣いしてるかがイマイチわかってないような気がしている。人と人の会話のシーン書くの苦手だし、これは何、解決する類のコミュ障なのか? いやコミュ力は私多分ある方だ、散々無いって言ってたけど、気持ちがついてこないだけで言葉は出る。年下ムーブが許される環境ならむしろよく喋る。年上多い環境の会議ならまとめることもできている。多分コミュニケーションに関する自己分析はもう十分にやってるから後は気持ちの問題さえ解決すれば円滑に社会をできる気がする。ビビるんじゃない、滑るのを怖がるな、リカバリーくらいできる、人に合わせるんじゃなくて中間地点で会話しろ、Don't think feelの精神で他者をぶん殴れ、殴るな

 

0714

睡眠絶不調、浅く寝て起きて浅く寝て起きてを8時間繰り返して朝だった。課題と依頼をシバいて大井町にいって日程組んで池袋に行って授業受けて、という多分この夏で1番よくある日の流れだった。345コマで労働して池袋行くっていうのが理想の流れ、起きられさえすれば。完全オフの日、今んとこ要らない(ただダラケてしまう)ので、全ての日を何かで埋めておきたい。

小さくていいのでイベントが欲しい、普段喋らん人と喋るとか、ルーティンだとなんか凝り固まってしまってよくない。急に電話かけてくる村上みたいな存在は有難いもんだった。筋肉痛がヤバい、年下の男だからって理由で班の社会人お姉さんらに肉体労働を回されて、私は今日二重跳びと大喜利を交互にやるってのを1時間やった、物心両面から人を殺そうとしている。二重跳びは上手くいった、大喜利は5,6回くらい滑った、大喜利やらかした後の二重跳びはすごく綺麗に跳べる、要らない。

明確に場所によって振る舞い方を変えていて、たとえば塾では迂闊な(間違った)こと言わんようにスンッてしてるし、学校ではそれが嘘みたいにひとまず喋る、正しさか面白さ(アイデア)の両極端しか調節できない。塾から学校に行く電車内では無理くり脳を切り替える必要がある。塾→学校はもう燃やすだけなのでなんとかなるけど、学校→塾の日があったらペルソナが全部壊れて生きていけなくなる気がする。人からどう思われるかを過敏に捉えてしまう自己意識を殺したい、よそはよそ、ウチはウチ。

 

0716

人に勉強教えるのと面白いことを説明するの、全くもって性質が違うし後者が圧倒的に難しいと本当に思う。勉強のルールを説明するのは論理から論理なのでスムーズに変換できるけど、面白さの説明は感性→論理の変換なので難しい。こういう類の説明経験の無さ故だと思う。こちらで決め込まないで相手に選択権を渡す感じで、相手の頭の中でシミュレーションしてもらう必要があるから、相手の頭の中に舞台があって説明側は道具立てと初期段階まで説明したら後は上手いことそれを一緒に動かしていくみたいな、これも感性だから説明厄介すぎる。言語化と説明の能力が足んねえ〜〜〜瞬発力もだ、想像力もそう、相手の理解度を推し量りつつこっちの理想のラインまでシミュレーションを完成させる、パワポみたいに視覚的な物の方が向いてそうだな、そんなことやってる奴居ないけど

私がずっと騒いでる、めっちゃ良い性格した子がすごくいい立ち回りをしていた。19歳(最年少)でテーマが下ネタで女性は自分以外1人しか居ないって環境でも芯が強くて、自分の意見ちゃんと言うし明確だし、目指してる方向性が一緒だったので仲間意識を勝手に強く抱いた。

 

0717

サブカルっぽい人は恋愛対象に自分の似姿としての役割を求める」みたいな評論が花束についてたけど、これは概ね合っている気がする。私は完全に自分に似てる人が好き(同性の友人でも異性でも)で、性格も趣味も価値観も言動も込みで一致度が高い方がいい、屈折した自己愛とか言われてたな、自己愛というより違いを乗り越える体力と柔軟さの無さだと思う、一言でいえばたぶん内向型。

会議で、同班の19歳の女の子が言うことが全部手に取るようにわかって、何を面白いと思うかもたぶんほとんど同じなのでめっちゃ良かった、ひたすらに仲良くなりたい。書いてて思うけど花束の主人公らと同じ動機だ、結局サブカルだ。男に興味無さそうだけど、マッチングアプリ事情に詳しかったり他の人がワンナイトって言ってるのを都度ヤリモクに言い換えたりして、ひねくれた精神と観察眼みたいなのがあった。最近は彼女欲しい精神じゃなく親友欲しい精神の方がつよくなってきた。ってことを人に言ったら「どうせ付き合いたいと感じるようになるから黙ってろ」的な事を言われて黙った。精神性〜

他者性みたいなものに対する感覚は身体が年齢を取るにつれてだんだんとでかくなってきた気がする。小学生とか自分と他人の区別ついてないと思う。言い過ぎだろ。なんか、他人が自分と違う人間であるっていう価値観の相違の存在に気づいていなかった、少なくとも私は。相手が自分の内面を全部理解していると思い込んで変なコミュニケーションしたり、自分の主張を押し通そうとしたり、無邪気であり暴力な特権って感じ。だから私がわかった気になってる、自分と同一視してる子も実は全くもって予想と違う内面を持っていて、話してみると肥大した理想と現実の乖離に打ちのめされるのかもしれない。そういうわけで私は仲良くなりたい人ができても話しかけることが苦手だ。理論値を叩き出している現状に甘んじて、実際から目を背け続けている。

 

0719

筋に沿って背中をスプーンでこそげ落としたいくらいに暑い。日傘を使う人間なんだけど、照り返しの熱がむしろ頭上に滞留している気がして、掛け値なしに蒸されている感覚に陥る。

散歩の途中で歩きたくなくなって、飼い主にだっこされている犬を見た、ダックス。「やったぜ✌️」って顔してたな。いいもん見た。そりゃ地面なんて鉄板だろうから「(*^^)v」←こういう顔にもなる。

「彼女居る?」という質問に「一応……」と答えて叩かれまくってる男を見た、ひどい会議だった。後ろめたいことをしているか、今からしたいかのどちらかだとは思うけど、犬くらい素直に感情が表出されてたな。私はそういう質問をされた時には「めっちゃ居る」って答えて相手を惑わせることで、恋愛方向のベタな気恥しい会話になることを避けていた。答えづらい質問とか、腑に落ちないのに謝らないといけないときとかはオーバーな表現をすると会話の「マジ感」が無くなるのでオススメです。「腹切ってお詫びします」って言うとなんか知らんけど武士として許すべきだなって雰囲気が出る。

 

0721

動画編集、苦手です(断言)。いっぱい触れば慣れる気配はあったけど、考えることが多すぎてイヤ〜!ってかんじ。きちんと睡眠を取って臨むべきでしたね、いま電車内なんだけど脳疲労で死にそう。良かったことも1個ある。ペアだった人が大阪出身のめっちゃ面白い28歳のお姉さんなんだけど、私が操作でワタワタして「私が編集ならいまこの無様な瞬間をカットしますね」って言ったら「センスあるな、大阪的や」って言われたこと。「これ大阪的なんですか?」「えっ違うんどうなん」「こっちが聞いてんすよ」「それも大阪やな」「これも大阪なんすか」 いい会話。能なん?みたい、大阪弁いいよねコミュニケーション特化の言語って感じで羨ましい。

今こうやってうだうだ考え込んでる私は独りの時しか出ない。誰かと会話してる時は極めて無邪気で無作為で奔放な気がする、単に頭の回転がシングルタスク対応しかしてないだけだ。基本的に家の外に出たらずっと他人と話してる方が楽なので、コミュ障はただの気兼ねであって、あとは頑張りさえすればいい。この歳になって臆せず世間話ができるようになった。知らん人に話しかけることがそんなに怖くないぞ、怖いのはオラつき男とセンスメガネ男だけだ。

 

0723

昨晩、友達3人と日が昇る時間まで電話をした。1人は高校の時から1番仲の良い男で、1人は高校で付き合っていた人で、1人はその大学の友人の女子。私が今まで付き合ったのは4人なんだけど、今も喋れるのはこの1人だけで、後は全員見事に灼けた。ちなみにこの日記は小っ恥ずかしいので高校の人らには見えない。

会話の中で私が「よく元彼居る場でそんなこと言えたな」ということを言った(文脈は忘れた)。付き合ってたこと(と別れたこと)を自虐ネタにしたんだけど、そうしたら男友達が「それ言えるの成長したね」と言った。言われて気づいたが、これは確かに最近の成長だと思う。いじられキャラって感じではないから以前は自虐とか絶対言ってこなかったし、プライドが高いからいじられそうになったら全力で会話の流れを変えたりそうさせない雰囲気を出したりしていた。多分今も出てはいるんだろうけど。意図はしてませんよ、という。んで精神を守るために建てていた外壁がなくなって、むしろ閉じ込められていた精神が外に出られるようになった感じ。目下の悩みである「取っ付きづらい人だと思われる」ことの解決はこういう変化から起こる気がする。高校生の時はもうちょい酷かったな、知らん同級生から「面白くて勉強できるけど色んなとこに噛み付く人だよね」って言われたことがある。良くも悪くも極めて穏和になった。今の自分の性格と考え方は好きなので、後は見た目で怖がられなくなったらひとまず安心して過ごせる。耳たぶにハートの形の穴開けようかな

 

0724

敬語使うの苦手になってきた気がする(10時間くらい塾に居たから)。13時に着いてりゃええのにその直前に居た喫茶店でイヤホン外れた状態で銀杏BOYZが援交だなんだ言ってる曲を響き渡らせたので出ざるを得なくなって12時に着いたからこうなった。自分のレポート叩いてたけど、シンプルにHPがもうない。10時間の間で水を3L飲んだ、植物みたいな生態だ。
塾、精神的には全くもって磨り減らない。向いてるというか、人格を憑依させて接せる性質なのがデカイと思う。「講師」をやってればいい感じ、完全な別人ではないけど何重かの膜がある感じ。ずっと座ってるのが肉体的につらいだけ。しかし長時間やるといつの間にか「講師」の精神性に乗っ取られる危険がある。省エネのために頭良い喋り方をしないといけないから、友達と話すときに一瞬翻訳する時間を要する。新しく持つことになった高3の女の子がえらく喋りやすいから「人見知りしないな」って言ったら「いや自分コミュ障っすよ」って後輩みたいな口調で返されて面白かった。いい子だ、こういう話しやすいし頭も良い子が居るから続けてこられた側面が大いにある。私はコミュ障だけど人と喋るのは好きだし、話聞くのも勉強も好きなので向いていたんだと思う。作家にも向いていてくれよ〜という願い。競争の場が欲しいな、種目なんなんだ? あと新人の女性講師がなんかモテてるらしくてクラッシャーっぽくなってるらしく、見てて面白い。勉強できる男にモテそうな見た目と性格ってあるんだよ、私も来世はクラッシャーになって承認欲求が自動貯蓄されたい。妬み嫉み恨みを一身に背負ってそれを友達に相談して、終いにゃ病もうと思う。

 

0726

ここ一週間くらい毎日、最寄り駅近くのドラッグストアで水2Lとマウントレーニアを買っていく生活をしている。マウントレーニアを水で薄めて飲んでるのかとか思われてないかな、思われてるわけないだろ。ひとまず荷物が重い、具体的に言うと2kgくらい重い。水のおかげで肌質は良くなった気がする、早口にもなった。立て板に水。
風呂入るときには表情筋の筋トレと舌回しとなんか目をパチクリするやつをやってるんだけど、なんかバグってシャワーを浴びてんのに目と口ガン開いててただ溺れそうになった。何科に行きゃ治るんだこういうの。4年間くらいずっと上記の慎ましい努力をしてるんだけど、4年前と比べると人相が変わった、目は明らかにデカくなったのでみちょぱに感謝。
外が暑すぎてそろそろ何もしたくなくなってきている。スーパー省エネモードに切り替わっている最中で、サンボマスターが聴けなくなった、暑いんだよ。サッパリしたものしか聴けない、ボカロとOasisしか受け付けない。Oasisは名前が良い、涼しそう。

 

0727

2ヶ月くらい企画してきた収録がやっと終わった、編集には関わらないので私の肩の荷は消えた。夢に見て起きるくらいには緊張していたので気が楽。あとなんか知らんけど急に彼女欲しさが芽生えた、いや違うな 変に人と大量に会話して、しかもその大半が業務連絡だったから反動でそうなっているだけだと思う。適当に、脳を使わなくても同じテンションで話せる相手が欲しいだけだろうな。人が言う「彼氏(彼女)欲しい」も実際はもっと別の適役たる人種が居て、けど言語化できないから一先ず交際相手って言ってるような気がする。世の中可愛い人多い、しかしそういう人はこれまでの人生で人と関わることが多いからだいたい私の射程外の陽のコミュ力がある、千鳥とかまいたちしか好きじゃない人間に用はない(暴論)。夏は何かを考え込んだとてろくな結論が出ないことはこれまでの人生で知っていて、だから人と話すなり労働をするなり本を読むなりといった頭使わない方が難なく進むことを積極的にやっている。今日とか特にそれを心がけた、ほれ見ろだから彼女欲しいみたいな薄っぺらいことしか言えてない。もっと人生の話とかしろ、コミュニケーション論を捏ねくり回せ。普段言えてないことを思考の浅さを口実に言うな書くな。何も考えなくても自然体で人と話せるようになった、ちゃんと我が出せる、もう私が知ってる私じゃないのかもしれない。少なくとも過去の私は、ウルフカット古着のあいみょんみたいな見た目の五六個上の女性に「属性全部盛りじゃないですか」って言えるような人間ではなかった。「そうだよ、私スタイル良いし」って返されて言葉に詰まった、私だった。

 

0728

「なんやこいつ馴れ馴れしいな」って感じること無いから、私も他人に馴れ馴れしくしていいんだ なんでこんなに知ってんの?私に興味あるのか?って思われるのは怖い 小出しにする窮屈さも嫌 めんどくせ〜〜

 

0729

辛いまぜそば食って、走った後ぐらい汗かいたのが冷めて寒いまである 辛いもの、勝負だと思って食ってるから食後の私は人相が良い 爽やかな勝利 各種の生活習慣の割に肌が綺麗なのは代謝の良さ(辛さによる汗かきブースト)とメラノCC(沁みて痛い)と大量の水のおかげだと思う 口に刺激物を入れる傾向がある アメスピメンソだしフリスクを常備している 見た目には気を遣うが自分の体への過度な信頼があるから台無し サウナもそういう入り方する 早死にするやつじゃん

年上と喋りやすい理由がなんとなくわかって、前振りなくボケても許されるからだとなった。失礼なことと文脈にそぐわないことを言っても年下だから許される(許容範囲内)のと、「言わないはず」って前提があるからハードルがだいぶ低い。年下にボケたら老害だと感じてるのも多分要因。私は適当なことを言っていたいので、冗談が通じる優しい年上が接しやすいと感じる。年下なり同期の人はむしろ失礼な方がいいんだけど、見た目の雰囲気がそれを妨げているらしい。喋るとわかるがこんなに接しやすいな人間はそうそういないのに、実質ちいかわみたいなもんで、「あっ」「わぁ……」「うっ」って言う ちいかわ見てるとコミュ障の自分見てるようで心がつらい 何すりゃ接しやすい年上になれるんだ? 間断なく喋りかければいいのか? もはや何かしらの怪異だろ

 

0730

私は麺類が好きで、ラーメンもうどんもそばも油そばも何もかも好きなんだけど、中でも焼肉屋の韓国冷麺がとにかく好き。焼肉屋では確実に食う。実家の近くの焼肉屋、伯母の同級生がやってたから融通がきいて、私用の冷麺のチャーシューだけ凄く良いものを入れてくれていた。けどそこじゃないんだよな、酢と麺があればいいんだ。んでもって酢はつけてくれなかっただろ? ㍘

以下は私が馬鹿舌であることの証左にしかならない文章。韓国冷麺とちゃんぽんは酢の溶媒だと思っていて、夏か冬かで食べ分ける感じ。入れる量、伝わるか分からないけどリンガーハットの小瓶で3分の2くらい入れる。徐々に入れていくからそんなに酸っぱくは感じないんだけど、体は素直なのでむせる。辛いものも(苦手だけど)好きで、けど酸辣湯麺は嫌い。酢のやわらかい痛みが好きなんだよ、わかるか、鶏白湯とお前と参鶏湯くらいだぞ「湯」をタンって読ませるの。

ただ焼肉屋はなかなか行かない(いい店を知らないしそんなに少人数で行く場所でもないし私は多人数が苦手)から〆の韓国冷麺も当然ながら食べられない。そろそろ酢を飲みたいのに……ってなってたら日高屋の冷麺が「日高屋初のホームラン」って言われてた。行きます。これ昨日の晩に書いてたんだけどあわあわしてて今になった、今とは昼過ぎです。眠気がまだ残っている。体に合わないものを飲むとこうなる。カフェインの粒を薬局で買えば治る気がします、なに?この文章 蛇足なんだけどキモい

 

0731

人それぞれに場面における「普通」があって、いわゆる「おもしろい人」は空気が読めるから自分と相手の「普通」を認識して、そこから逸脱した(しかし不快にさせない程度の)ことを言えるからおもしろくなれる。だから空気読めない人がおもしろくなれることはかなり稀で、それは他人と共有する「普通」から離れることを企図しているわけではなく、たまたま「普通」(こうなると社会常識にちかい)をフリにした行為ができただけ。意図してないからボケでもなんでもない。天然ボケって言葉はたぶん誤用。いいですね、いかにもお笑い評論する大学生って感じの文章。職業にするから私の罪は軽い。日常生活におけるコミュニケーションでのユーモア、散々言われてることではあるがやはりもっともらしい評論は見つからない。「空気読み」がわかりやすく文脈依存の性質が強いから理論として説明することが無為なせいだと思う。私が作家をやりたい理由のひとつに、この「空気読み」ともいえる行為が楽しくて好きだからっていうのがある。話している相手との関係性とか、共通の話題とか、絶対にふざけちゃいけない場面で関係ない話する危なっかしさとか。ボケるのはある意味でギャンブルだしそれに勝つとウケるっていうのが職業として通用している非常識さが良い。遠い誰かの不幸や不謹慎をネタにするブラックユーモアは、それを笑った観客も共犯にする。日常を鋭く切り取ったエッセイが面白いのは結局、読者の「普通」から逸脱してるがゆえの目新しさと驚きになる。新しい舞台を用意するようなSF的なファンタジックな面白さも好きだけど、日常と地続きに掘り残しを探るようなお笑いが好きだな。ダウ90000の単独を観にいきたい。

水槽

自分の体に違和感がある。不調の話じゃなく、実存として自分が在ることに対する疑わしい気持ち。鏡で自分の顔をふと、目的なく見る。1分くらい見続けていると、こういうやつが外歩いてるのか、と思う。それは何も自分の見た目に自信が無いとかそういう次元じゃなく、存在への驚きみたいな感覚だ。

この感覚が小学生の時からずっとあって、だからかはわからないが、他人を好きになることはほとんど、この人になりたいと他人に思うことと同義だった。女性性への憧れとか簡単な話じゃない。そうした要素も一部にはあるかもしれないけど、どちらかと言うと同性の先輩への憧れのような感情から無邪気さを引いたような感じがする。かっけえな、この人になりたい、という気持ち。書いてて気づいたけど、「この人みたいになりたい」じゃないんだね。まるきり取って代わろうとしてる。これは強くておぞましい願望だ。それで、そういう憧れてしまう相手ってだいたい長いこと一緒に居ると疲れてしまう。内省を常に求められるからだと思う、求められるつっても自分で勝手にやってるだけなんだけど。この人の精神性を吸収したいなとか思いながら喋ってたらかえって何もわかんない。

まあけど一緒に居て楽な相手も居るもんで、別にこいつにならなくてもいいけど何となく好ましいな、くらいの簡潔な感情。不可解なことに、そっちの楽な方が居る分には楽しいし、居ない時でも楽しい。相手からすりゃどうなのかわからんが。私は基本的に他人と一緒に過ごすのが苦手で、それは単なる私の能力不足でしかない。他人の感情を慮るのに根気と体力がいる。気遣いが無限に分岐してそれらを潰していきながら交渉するんだけど、心のどっかでは潰せなかった余りの選択肢がリフレインしていて、自分の能力不足を痛感しながら人と喋っている、そりゃ疲れるに決まっている。1人が好き、ってのも楽だから。失敗は1人で対峙した方が悲壮感がなくて良い。誰かが居たら失敗の衝撃に加えて恥までかくことになる。人間なので他人からの印象をずっと考えて生きている。だから他人は居ない方がいい。そういう拗らせもある、しかし楽な人もいて、よっぽど私が酷い状態じゃない限りはずっと一緒に居れる気がする。1人で勝手に楽しく生きてくれそうな人間が好きなんだろうな、つまるところだ。それは自分の責任逃れでもある。

冷静になって考えるとお互いにボコボコに苦しめ合うような相手、不経済でしかない。宿縁みたいなものかもしれない。空いた時間でまたずっと不経済をやっていたい。私はコミュ力を増やします。

いつか

生きるうえで知らなくていいことは多い。そんなものは最初から目を背けて、自分とは関わり合いがないんだって言い聞かせることができる。けど知りたいのに知らないまま終わっていくかもしれない経験がそこには山のようにあって、たとえば海辺に暮らして誰かと蕩尽愛し合いながら老いていくことだったり、今のわたしが喋れないような言語を手繰りつつ世界の不平等に絶望しながら枯れていくことだったり。レールがある。見えないけれど確かにあって、そこから外れて、予想もつかない生を謳歌することはたぶん難しい。もちろん、今後の私の三十年に起こることは一切知らないけど、けど、だいたいこんなもんだろうなって予測くらいはつく。極限があるんだ。身近な人は少しづつ老いていくし誰か死ぬかもしれない。きっと日本にいて、日々の小さなことに神経を反応させながら、自分を納得させるようにそれなりに生きているんだと思う。タイムカプセルを作る価値なんてない。まるで昨日のように受け取れる気がする。誰かに憐憫しながら生きていたくはない。憐れむことはいつかの自分を見てしまうことかもしれなくて、だから弱い私は静かに世界から目を背けて自分にだけ向き合う。世界ってなんだ?自分以外のことを世界って呼んでいるんだとしたら、そんな可変する弱々しいものに身を浸しているのか。家族が欲しいとたまに思う。家族の幸せな在り方というのをほとんど知らないから、どんなもんだろうという好奇心がある。一方で悲観的に無理だろうという予測もあって、そもそも誰かと足並みを揃えて生きていくのってダルいし。ダルいってことにしておけば能力不足なことを隠せるから便利だよ。詩だ。君の悲しみに幾らかの値札をつけて、それでしばらく僕ら生きよう。数千年前もきっとそうやって弱い僕らは身を寄せあって、怖がりながら死んでいったんだと思う。時間は軋むような叫ぶような音を立てて過ぎていく。主観だけは嘘をつかない。製氷機の氷には砕けた薔薇の花が少しだけ入っている。生活に違和感が忍ぶ。影はどこにでもあって、けど目を逸らしているから気づけないフリに余念が無い。何回かその場で足踏みをしてみせてよ、ってどこかで聞いた声がする。繰り返し。神話の中にだけ存在する嘘みたいな愛。劣情だけが歴史の中で輝いている。誰しもが息をしているはずなんだけど、みんなどこかで絶望みたいな塊を拾ってどこかに消えていく。たまに拾えていない人も来るんだよね。拡散するような時間の中に身体が少しづつ引き伸ばされていって、弱いところから次第にちぎれて空間に溶けていく。本の中でだけ見たことがあるものたちが記憶に残らないくらいの速さで目の前を過ぎていく。何故か怖くなってきてそれを止めようとするけど、初めてのことだから何も分からずに、目の閉じ方さえも習っていないからわからない。だから仕方なく全てを見た。嫌なことばっかり目に映ったけどもう何も覚えていない。泣きそうになる。ちぎれていったからだがどこからかあつまってきて、けれどすこしだけもどっている。どこかわからないけどういているかんかくがある。みのまわりのすべてがうつくしくて、もはやなにがなにだかわからないんだけどすべてをあいせるとおもった。ないているのはずっとかわらない。そうしていくばくかのじかんがたって、もういちどうまれていまここにいる。

短歌タイムカプセルから好きだった短歌

生前という涼しき時間の奥にいて あなたの髪を乾かす遊び

老けてゆく私の頬を見てほしい 夏の鳥影揺らぐさなかに

塗り絵のように暮れてゆく冬 君でない人の喉仏がうつくしい 大森静佳

立入禁止区域に星を戴いて もう産まなくていいよ牛たち 佐藤弓生

君は君のうつくしい胸にしまわれた 機械で駆動する観覧車

君が愛して兎が老いたら手に乗せてあまねく蕩尽に微笑んで 堂園昌彦

君に逢う以前の僕に遭いたくて海へのバスに揺られていたり

千年の昼寝の後の夕風に座敷よぎりてゆく銀やんま

ひとひらのレモンをきみは とおい昼の花火のようにまわしていたが 永田和宏

人はみな慣れぬ齢を生きている ユリカモメ飛ぶまるき曇天

輪郭がまた痩せていた 水匂う出町柳にきみが立ちいる

ああそうか日照雨のように日々はあるつねに誰かが誰かを好きで 永田紅

三月の真っただ中を落ちてゆく雲雀、あるいは光の溺死

あなたの眠りのほとりにたたずんで生涯痩せつづける競走馬

雪は花に喩えられつつ降るものを 花とは花のくずれる速度 服部真里子

短歌

モノクロの花束抱きて道を往く少女らの物言わぬ正しさ

故郷の懐かしさ 叫ぶ花束 蝉時雨は海に降る雪

憐憫も慕情にかわり水芭蕉 誰彼知らぬ湖沼に萎える

春の犬 ひかりにふくらんでいるみたいだ 膚をぷちんと割る注射針

飲み込んだ別れが二月 ザトウクジラが食べて結論海を泳いでいる

脆弱な青 晩夏いつだってとりとめもなくて日記に書けない

呼応してまた遠くてさみしい 驟雨張り詰めて京都さよなら

勝ち負けとかじゃないけど見紛うのがうだけを特に言った 可惜夜

系だった春 時雨立つ悲しさに 故郷のライオンが綻んでいくね

系だった春 春だったさみしさ 君の悲しみをいくらで売ろう

微笑みは劣情・点滅 終わりがないなら産まないで恋

時たちが投げられていくターミナル 君とはじめてのお別れをした

焼き付いた我らほころんでいくように消えないのに死んでいくまま

どうせなら私の前で死んでとも言えたのにね 水だ垂れてる

「意外と君のが大きいかもね心臓」「何言ってるんですか」「最高」

きみだけ先に口が動いて その先はだめ 冬だから澄んでいる 碧夏

うれしさって弱さだ 僕だけ水色のパンケーキ 昼休みにも食べている

誰だって無理して生きているんだよ 冬の森ビル5センチ高い

母親の言うかみさまはやさしくて雪を降らせるスーパースター

季節性の風邪のような

 

塾で大学受験生に勉強を教える行為、基本的には大学生がやるべきことではないと思っている。理由は単純で、予備校講師と比べた場合の経験と知識の乖離が巨大すぎるので。

それでも敢えて意義を見出すとしたら個別性と、良い意味での俯瞰性に頼るしかない。だからたとえば英語の五文型を教える時には、受験での(他教科も含めた)重要度とその後の学習法(プリントを渡して教材を指定するまで含む)と定着度の観察をやらないといけなくて、受験勉強でふつう養われる自律の精神とか戦略の立て方まで個別でやるのはたぶん不可能だと思う。あとは勉強に対するモチベーションの種類が似ていることも年上の予備校講師に比べた際の優位だと思う。時代の流れに頼る感じ。だから英語だけとか日本史だけとかで生徒を持つのはあまり良くない。けど変な話ではある。1科目でやってる人に勝てないんだから、なんで2科目も3科目も大学生ごときが教えられると思ってるんだ、という話で、だからこそ総合的な受験勉強ってところに着目する(あるいは逃げる)必要があるんだけど。1時間4000円強払って大学生に自習を見てもらえるサービスを提供するだけになる恐れがあるんだよな、悲観論すぎるか。勉強の方向に向かうという目的がない雑談も付けてしまうかもしれない。落語みたいな単価で雑談話を聞ける。つまるところ、それなりの受験結果を得させるために非プロの講師ができるのは方針立ててそれを実際の教材進行に割り当ててその定着度を見て計画を立て直して……ってことと、「これしかできないしこれが私らにできる最大値だよ」ってことを暗に伝えることだけだと思う。その時、英文法の知識やサータヴァーハナの知識は単にミクロなレベルにとどまるに過ぎず、マクロでの授業外での自学自習のモチベートと具体的方法の指示でしか価値は出せない。

千種創一

千種創一の歌集『千夜曳獏』を読んだ。
後輩の女の子に借りました、ありがたい。歌集全体として満足感がすごかった。強度をもった詩の前では私がどう言葉を編もうと行き着く姿が無粋にしかならないから、せめて短歌の強さを活かすために好きだったものをあげて個人的解釈を付していきたい。ちなみにこれを書いている現在(2023/10/08 04:29:39)、アホほど眠くて私にはタイムリミットがある。理性や意味とかけ離れたところの感性だけで読むのがいちばん良いのでね、きっと。

どれくらい登れば海が見えるのとあなたの声、鳥の声、汽笛

三種類の「声(音)」が登場していて、たぶん後になるほど遠いのだろう。聴覚だけで描かれた世界なんだけども果てしなく広がっていく印象がある。このあとにえらんだ短歌にも共通するが、私は短歌を通して自分の好みや感性を知りたいと思うし、この歌だと広がりの感覚が好きだ。そして色は少ない方がいい。

朝の河を見たいのだろうセーターの袖で車窓の露を拭って

ぜんぜん始発の電車でも読めるんだけど個人的には冬の寝台列車の中の様子だと読んだ方が綺麗だと感じた。旅路、恋人と寝台列車に乗ってどこか遠くにおり、その恋人が車窓を袖で拭うシーン。「朝の河」と「車窓の露」の遠近大小の対比的構造が奥行きを生んでいる。「見たいのだろう」と断定を避けているからふと目覚めたら恋人が拭ってたのかな。冬の川はすこぶる冷たいんだろうな。

これ走馬灯に出るよとはしゃぎつつ花ふる三条大橋わたる

感性すご、となったので選んだ。思い出に残るであろう景色を見た時に、走馬灯に出るだろうなってとこまで思いが至るのはある種でネガティブであり、しかし口調や様子には底抜けのポジティブさも見える。二人の関係性がその後も変わらないことを了解している口ぶりって感じだ、ふたりの暮らしは地続きで、どちらか片方が死ぬまで続く。そう思うと三条大橋をわたるってのも三途の川をわたるような、生死にかかわるイメージの想起につながるのかな。

熊蝉がうるさかったら沈黙をあるいはやり過ごせたかもしれず

こういう仮定形なことばが好きなんだよな、ほんとうは「熊蝉は静か」で、「沈黙をやり過ごせなかった」というところから連想がはじまるので、受け取り手としては規定されつつも自由度が比較的高く読める気がする。沈黙がやり過ごせなかったらどうなるんだろう。気まずい雰囲気が立ち込めて、しかも周りは思ってたより静かだし、というかなぜ二人(それもわからんが)の間には沈黙が流れたんだろう、告白でもしたのかな。みたいなことを考えるのが楽しい。

黒に染めたあなたの揺れる髪の毛の、鯨はかつて陸を歩いて

この後出てくる歌にも言えるんだけど、現在の風景(物)と、かなり大きな時間の前後(千年後の歌)が出てくる歌が好き。作者は失念したんだけど俳句甲子園の「夕焼けや 千年後には鳥の国」のような、夕焼けと人類滅亡・鳥の隆盛が心象に飛躍してあらわれる感覚が、詩の自由闊達なところで良いとおもう。黒染めした髪の色に鯨の体表のような印象を抱いたんだろうか。髪の毛のゆれるゆっくりな感じと鯨の歩き方(そんなものは知らないが)のおそらくゆっくりな感じもわかる。空想でしかない。森博嗣の未来的世界観(機械都市)が好きなことにも通ずるが、現在と遠く離れた時空に馳せる感性が壺なのかもしれない。

海上の国境みたいなあいまいで明るい時間をあなたと寝てる

想起されるイメージが海上からベッドに収束していく感じと、しかしあいまいな肯定感のまま終わる感じが詩的に合わさって好きだった。記憶されない日常、陽だまり、多分そんなに広くない部屋、部屋から世界に発する想像力、掴みどころがずっとない。やべ〜ねむくなってきた。

蛍、千年後も光ってて 終電に向けてあなたの手を曳いている

そうですね、似たような好きな理由だ。蛍と終電、千年後と終電(文明の象徴として?)。なんか最初読んだ時には「千年後も終電って残ってるのかな、あなたも生きてるし」みたいな読み方をしたんだけど、別にそれでもいいな、綺麗。死んだあとの世界では美しい情景だけが延々と上映されていてほしい。そこでは走馬灯をゆっくりと安心して観られるんだろう。

利き手じゃない方で林檎を剥くように生きてあなたの夕景に逢う

不器用って表現したら早いんだろうけど味がなくなる、上に結構変わるしね。たどたどしくはあるけど確かに前に進んでいて、けど見返すとガタガタな感じ。そうやって生きていて、救いとしての恋人に会う時には本当に心がゆるむんだろうな。「あなたの夕景」であって「夕景のあなた」じゃない以上、主役は「あなた」だと捉えている感じが自己肯定感の低さみたいに読めて切ない。「私」は主人公じゃなく、「あなた」の人生の登場人物だと自分で規定しているような印象。やっとのことで生きているような切実さが全体から溢れていて心にざらっと残る。

冬時間へ時計の針をもどすとき眼からあふれてくる夏のみず

肉体と精神のギャップを指摘する観点が今までにない角度からだったから印象深かった。いま生きてる時間は夏だからそりゃ泣いたら夏のみずが排出されるよな、けど気持ちだけは冬に戻る。いまが季節の変わり目だからことさらに感じるけど、寒い時期って人間、さみしくなる。人肌恋しさが強制的に発動される。恋愛の歌って冬と春と相性がいい。身体感覚と精神の結びつきってとくに日常を平凡に過ごしているだけだったら見逃してしまいがちだ。


最終ページの二首がまとまりとしてすきだった。終わりがすてき。

胸がとても冷えていく ヒヤシンス、あなたの未来のように確かだ

エクレアの包(フィルム)をひらく 潮風も希望もそこに乱反射して

未来とか、希望とか、まあ手触りのいい優等な単語ではあるんだけど、そこに取り合わされるのはヒヤシンスであってエクレアの包でもあって、ほんとうに微妙に生活からはとおい。無機質な感じも両方から感じられる。けどまちがいなくめいっぱい前向きだと思う。

違和感、ザラつき、サラッと読めない感じ、現代詩の性質は読みにくさわかりにくさに宿っているらしい。どっかで読んだ。実用性を脱ぎ捨てて、意味すらも捨て去って、稀少性に鋭くなっていく感じ、そのとき文法も意味も邪魔なのかもしれない。連想だけだ。作者の背景がきちんと反映されていて、季節と場所を旅している感じのするいい歌集だった。

コーンフレークをこぼれる鱗とおもうとき朝という在り方は魚だ

まだ熱いあなたの髪を手ぐしする、火を炎にしたら負けだね

どうやっても悔やむであろうこの夏をふたりで生きる、花を撮りつつ

堤防のほそきを来るときにあなた、蜻蛉のように腕をひらいた

食卓に君の涙が落ちるたび草原の蘇りまた枯れる

生活の感覚と刹那さ、いつか終わりがくることを了解していながらもそこから目を背けて今の時間を大切にする感覚。千種の世界観は綺麗なんだけど、悲しさが常に内包されていて読んでいてどこか不安になる。それが好き。

眠気に耐えて少しづつ小説やら詩集を読んでいる時の私だけがほんとうの自分なのかもしれない。私だけのいのち、他の誰のためでもなく、幸福な孤独はしかし死(=睡眠)に近づいている感じ、受け入れる、宗教ダイアリーみたいになってないか?大丈夫?おやすみなさい。

白皿に茄子を裂きつつ未来とは時間ではないいつか行く島