日本語作文備忘録

注:この記事は基本的に自分用の備忘録で、さらには 「この辺りのポイントにだけ気をつけていれば受け取り手に親切な文章が書けるかもよ」ってのを人に伝えるための記事です。多分、どんどん追加していく。noteに移行して目次つけたいかも。

 

誤読されない日本語の作文というものに関心があって、作文系の本を読んだり、こうやって自分なりにまとめることを続けたりして、あくまで実践的な作文技術の向上を図っている。だが、そうやって練習していても、一度書いた文章は見直さないと自分でも間違いに気づかない場合がほとんどだ。スラスラと誤りない文章を書けたらどんなにいいものか。(誤りない文章をスラスラと書けたらどんなにいいものか。)「スラスラと」「書く」という繋がりをはっきりさせる。「スラスラと誤りない」という、誤りのない状態がスラスラとしている文章だと受け取られかねない。できる限り書き直しなく、意味の通る日本語を書けるように練習していきたい。

 

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文学的なものはともかく、実用的な文章はとにかく誤読されないものでないといけない。ここで言う「誤読されない」とは、書き手の意図が過不足なく読み手に伝わる状態である。そのためには、様々な障壁をクリアしなければならない。たとえば、読点の問題である。

 

【読点】

私は小林が中村が鈴木が死んだ現場にいたと証言したのかと思った

 

この文章は『日本語の作文技術』(朝日文庫)から引用した。このままだと、結局誰が何をしてるのか分かりづらいが、書き直してみると

 

鈴木が死んだ現場に中村がいたと小林が証言したのかと私は思った

 

と、順序を入れ替えることによって意味が通る文章になる。特に、主述の関係。最初の文だといまいちピンとこない主述の繋がりが、順序を適したものにすることで明確になった。

 

「鈴木が死んだ」「中村がいた」「小林が証言した」「私は思った」

 

先程のわかりづらい文のように、「私はーーーーー(まあまあな長文)ーーーーーーーー、〜と思った。」という形になっている文章をよく目にする。特に、中学生の作文を添削する際によく目にする印象だ。「誰が(私が)」という主役を早めに登場させておきたい意識が先走りすぎて、その後の文章で何を書くかも決まっていないのにとりあえず主語を書いてしまう。そのため、「〜〜〜〜だと、私は思った」という最小単位での文章構成からかけ離れてしまっているようだ。

 

私は小林が、中村が鈴木が死んだ現場にいた、と証言したのかと思った

 

順序を入れ替えずに読点を打つだけで書いてみるとしたらこうなる。いくらか読みやすくなり、誤読されにくくなっただろうと思ったがやはり日本語として気持ち悪さは残る。「誰がどうした」という主述の距離は近づけておきたいし、ずいぶん前に主語を登場させているにも関わらず述語を出せていない場合は後に書き直す必要があると心に残しておかねばならない。

 

【校正と添削】

 

(1回目)

私は急性期病院に勤務して6年目となる看護師です。そのうちの3年間を感染委員として院内の職員に指導する立場で過ごしてきましたが、新型コロナウイルスが院内にもたらした動揺は過去に例をみないほど深刻でした。元より、感染対策には、感染症に関する知識とその予防の実践を徹底して行うことが重要だというのは実感していましたが、この未曾有の事態に際し、新型コロナウイルス対策の最前線に勤務したことで、医療の現場における正確な情報の大切さを痛感しました。また、知識は持っているだけでなく、チーム医療として提供する医療の質に還元できないと意味がないことも感じました。病院という組織の中において、感染委員が求められた能力は、「周囲の人を巻き込みながら正確に感染対策のために指導していく能力」でした。私が貴学を志望した理由の最も大きな一つは、専門的かつ実践的な感染管理の方法論を学び、院内をけん引出来る認定看護師を目指しているからです。依然として続くと思われるコロナ禍による現場の混乱に対し、専門性を持った実学的な知識やその実践の方法などを貴学に学び、私も一医療従事者として尽力したいと考えます。貴学において認定資格を得るその課程にで感染管理の知識を習得し、常に適切な判断を認定看護師として責任をもって行いたいと感じました。以上が私が貴学を志望した理由です。

 

上の文章は、志望理由書の作成のために私が書いたものである。下書きとして書いたので、20分程度で立ち戻ることなく作ったから、この時点ではツッコミどころが満載だ。誤字もあるし、溢字もあるし、なによりとにかくイイタイコトが伝わってこない。文字数制限にもひっかかっている。

 

友達に突っ込まれた点としては、

『〜〜動揺は過去に例を見ないほど深刻でした。』→『〜〜影響は深刻でした。』でまとまる。

『この未曾有の事態に際し、新型コロナウイルス対策の最前線に勤務し〜〜』→『未曾有の事態』=『新型コロナウイルス対策』だから、意味が被ってる。

 

そして、諸々の不備を直して書いたのが下記だ

 

私は急性期病院に勤務して6年目となる看護師です。そのうちの3年間を感染委員として院内の職員に指導する立場で過ごしてきましたが、新型コロナウイルスが院内にもたらした動揺は過去に例をみないほど深刻でした。元より、感染対策には、感染症に関する知識とその予防の実践を徹底して行うことが重要だというのは実感していましたが、この未曾有の事態に際し、新型コロナウイルス対策の最前線に勤務したことで、医療の現場における正確な情報の大切さを痛感しました。また、知識は持っているだけでなく、チーム医療として提供する医療の質に還元できないと意味がないことも感じました。病院という組織の中において、感染委員が求められた能力は、「周囲の人を巻き込みながら正確に感染対策のために指導していく能力」でした。私が貴学を志望した理由の最も大きな一つは、専門的かつ実践的な感染管理の方法論を学び、院内をけん引出来る認定看護師を目指しているからです。依然として続くと思われるコロナ禍による現場の混乱に対し、専門性を持った実学的な知識やその実践の方法などを貴学に学び、私も一医療従事者として尽力したいと考えます。貴学において認定資格を得るその課程にで感染管理の知識を習得し、常に適切な判断を認定看護師として責任をもって行いたいと感じました。以上が私が貴学を志望した理由です。

 

さっきよりはまとまっているが、やはり気になる点は残るので、上の文章に( )で訂正できると思われる点を書き込んでいってみる。

 

私は急性期病院に勤務して6年目となる看護師です。そのうちの3年間を感染委員として院内の職員に指導する立場で過ごしてきましたが、(←この「が」、が もたらす逆接的な意味合いは、この場合の前文と後文の関係には適用されないから取る。「過ごしてきました。」とする。)新型コロナウイルスが院内にもたらした動揺は過去に例をみないほど深刻でした。(←いる?目的はあくまで志望理由を示すということなので、要らないと判断して削る。)元より、感染対策には、感染症に関する知識とその予防の実践を徹底して行うことが重要だというのは実感していましたが(←いる?謎のいい子アピ。実感できてたならいいじゃん。この文章の目的はあくまで後文へのフリ。「実感」と「痛感」で対比してることからもわかる。長ったらしいフリを消して、「コロナ禍」とまとめてしまっても、異常事態という意味は伝わる。とる。)、この未曾有の新型コロナウイルス対策の最前線(未曾有削る)に勤務したことで、医療の現場(平時からそうなの?どんな医療の現場なのか明記した方がいいかも。感染症病棟とか、具体化すると良い。)における正確な情報の大切さを痛感しました(具体化する)。また、知識は持っているだけでなく、チーム医療として提供する医療の質に還元できないと意味がないことも感じました。病院という組織の中において、感染委員が求められた能力は、「周囲の人を巻き込みながら正確に感染対策のために指導していく能力」でした。(この前文と後文は入れ替えた方がいい。院内をけん引する、ということを説明した後に、周囲の人を巻き込みながら〜を説明した方が通じる。)私が貴学を志望した理由の最も大きな一つは、専門的かつ実践的な感染管理の方法論を学び、院内をけん引出来る認定看護師を目指しているからです。依然として続くと思われる(依然として続く、だとわかるが続くと思われる、は違和感)コロナ禍による現場の混乱に対し、専門性を持った実学的(専門性を持った実学的がわかりづらい。実践的な、とまとめても良い。)な知識やその実践の方法などを貴学に学び、私も一医療従事者として尽力したい(何に?事態の収拾とか、コロナ禍の鎮圧とかとにかく明確化)と考えます。貴学において認定資格を得るその課程で感染管理の知識を習得し、常に適切な判断を認定看護師として責任をもって行いたいと感じました(感じています)。以上が私が貴学を志望した(する)理由です。

 

っていう感じになる。もちろんこれでも完璧ではない…ひとまず気にすべきなのは、

 

論理的につながっているか(接続詞を使うのは結構リスキーなこと)→「よって」「そのため」を使う以上、前文から後文の結論が導き出せる形にきちんとなっている必要がある。「しかし」「だが」を使うなら、後文には主張が入っている必要がある。強調するからにはそれなりの理由が必要。

 

だと思う。書き加えていく。

 

【気をつけてること】

 

・読み手のことを考える 

目的(情報伝達)を見失わない。過度に比喩などの修飾をしてもある一定のラインを超えて伝わりやすくなることはない。洗剤入れまくっても洗濯物の洗浄度が変わらないのと同じ。文章に関してはむしろわかりづらくなっていく。書いている文章の意味はなんなのか、書いている段落の意味はなんなのか、書いている単語の意味はなんなのか、どういった必然性があってその言葉を選択したのか意識していく。

 

・事実なのか、考えなのか

どんな立場の誰に読まれても理解される文章を書く。そのためには、個人性をできるだけ排除する。自分のことをよく知っている人だったら、考えが伝わるから事実と区別はつけてもらえるが、不特定の人に読まれる文章だとそうはいかない。また、読み手が持っている情報と自分が持っている情報の差を意識する。こっちが既知で、当然として扱っている(だから書かないということもある)情報は、当たり前に共通認識として使っていいものなのか。

 

・言いたいことを整理する。

自分が何が言いたいのか、きちんと理解する。この文章に関しても、最初は「ダンボールの中に荷物を詰めるときは下の方に重いものを入れる。」という一文を最初に書いていたが、結論は先に持ってくるべきなので後に回した。ダンボールの中に荷物を詰めるときは下の方に重いものを入れる。それと同じで、絶対に伝えたい意図は早めに書く。必然性がある順序に並べた上で伝える。自分が書きたいとおりの文章を書き散らかさない。余計なことは勇気を持って書かない。

 

・慣用句は極力使わない。

多くの人が使っている慣用句。確かに使うと何となく文章がかっこよく見える。しかし、多くの人が使っている分、イメージが強い慣用句もある。人によってその慣用句に対してどのようなイメージを持っていてどう解釈するか分からない以上、堅い文章を書く際にはできるだけ省きたい。オリジナリティも消えてしまうし。

 

・形容詞を減らす

これに関しては自分の中で結論がまだ出ていない。

 

「大きな」「真っ赤な」「冷たい」「美しい」「甘い」

 

形容詞はほとんどが主観的なもので、人によって受け取り方は違う。私は牛丼を「美味しい」と思っているから、「美味しい」ご飯と言うが、人によってはそれを「不味い」と言う人もいるだろう。抽象的になりすぎてしまう恐れもある。

 

「私は将来天文学者になり、膨大な量の実績を積み上げたいです!」

 

と書くと、「膨大な量…?」となる。いやあくまで例だけど。なんとなく、具体的な表記から逃げているような印象を持たれる。

 

「家のように大きなゾウ」

 

と書くと、まぁほとんどの人が一軒家で想像すると思う。それなら、最初から「一軒家のように大きなゾウ」って書けよって思うし、一軒家も二階建てなのか三階建てなのか、人によって頭の中に想像する一軒家の大きさは違うんだから、そんな不確定な状態で表現するのは怖い。小説なら効果的な場面は多いと思う。「小学生の時に迎えた夏休みのような、ワクワクした気持ち」だと、受け取り手が各々の夏の思い出の中から勝手に引っ張り出して勝手に解釈してくれるから便利。ただ、状況説明の時にそういう丸投げ形容詞とか比喩とかを使うと、後々に齟齬が生まれかねないから注意。

 

とりあえず以上