肉体は縮減されて

今日はダメな日。低気圧が原因です、こういう日はパフォーマンスが極端に落ちる。頭の回転は普段と変わらないと思うんだけど、それを会話においてアウトプットする時に身体がついてこなくて結果として精神的にも落ち込む。良くない分岐が用意されている感じ。

 

私の体調はデバフがかかることが多い。それを言い訳にして諸々の不都合を説明するのはダサいのでやるべきではない。原点にして頂点の睡眠問題に始まり、低気圧の日には頭痛と鼻詰まりが起こる。そしてメンタルがそれらの肉体的不調による低パフォーマンスによって自責の念から死ぬので、一日の終わる頃には心身が終わった状態の私が自宅に納品されることになる。

 

んでもって今がまさにその帰宅途中の電車に運ばれている私であって、今こうして日記を書くことを試みているのは1日の成果を少しでも残そうというせめてもの抵抗だ。しかし自分の一日をツラツラと書いたところで(しかもクソみたいな一日)、なんら世間様に対して、さらには自分に対して申し開きできるものではないので、文章を書く練習をします。徒然草です。超下位互換枕草子

 

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そもそもなぜ何もできなかった日にこんな日記めいたものを書いてるかというと、ある種の自己研鑽の目的があると思うんですね。いま、「ある種の」と逃げの言葉を使ったのは「文章書くだけで自己研鑽になるかよ」という内なる神のツッコミが入るのを恐れてのことです。何にせよ、頭使って書く内容を考えてそれを人に伝わりやすいように起こしていくのは多少なりとも役に立つと信じているわけであって。

 

書くことの効用として私が考えていることが2つあって、1つは発想がしやすくなること(なければ書けないので)で、もう1つは普段からものを考えやすい体質になることです。ここは掘ってもなんも面白い話にならないからここで終わり。

 

何を書こう。昨日見た夢が高校受験をしているときの記憶+塾からの帰り道でトラファルガー・ローに襲われるという存在しない記憶だったので、2択で前者について思い出を書きます。ローに襲われたんだけど頭ぶん殴ってくるっていう、彼らしくない戦法だった。せめてガンマナイフとか使ってくれ、立つ瀬が無い。

 

高校受験は私の中ではいい思い出として消化されている。中二の終わりごろまで驚くほど勉強しなかったおかげで定期テストは毎回平均点スレスレという体たらくだった。入ってた塾が英進館という階級社会を現代日本で体現したようなところだった(言い過ぎ)ので、負けず嫌いを発揮して順調に成績を伸ばして合格を勝ち得ることができたんだけど、そういう自慢自分語りは面白くないので要らない。楽しかったのは塾の行き帰りです。

 

同じ塾に通っていた中学の友達と3~4人で毎日帰ってたんだけど、途中にあるコンビニでバタピーを割り勘して買って、そのうちの1人のマンションエントランスでそれを食いながらクイズ形式で問題を出し合うってのをやってた。それが楽しかった。

 

そこでも私は負けず嫌いを発揮し、社会のテキストの隅々まで見て対策するようなガキになっていたんだけど、途中から「難しいのを全部私が出せば、私に出題されるのは簡単なやつだけになるのでは?」と気づき、「Q.サツマイモの栽培方法を研究したのは?」「Q.ペリー率いる黒船集団は何隻から構成されていた?」「Q.モモとブドウとサクランボの生産数トップ5の全てにランクインしている都道府県名は?」といった、どこの高校に出題されんねん問題を出すようになった。んで答えられない友達を煽って無駄に受験の不安感を抱かせる戦法。嫌な人間だな。

 

高校受験当日は全部のデバフがかかってた記憶がある。まずインフルにかかってて熱が38.3℃あった。天気悪くて気圧低く、鼻も詰まっていた。母親は「とりあえず受けろ」「周囲の人間も今後1週間はだいたい暇だろうから大丈夫」「しんどくなったら気のせいだと思え」と、ゴリゴリの体育会系みたいなことを言ってきた、本当に親か? 丁稚奉公先のカミさんだったか?

 

満点近くとるつもりだった国語が、熱のせいで何回文章読んでも頭に入ってこないバグにより試験終了時は本当に手が震えた。寒気だったかもしんないけど。当時はボケてが流行ってたから頭の中に大量の大喜利画像が流れ込んできてて、ムカつく顔した洋モノの赤ん坊が私の方を向いて煽ってきていた。その後の4教科は気合いで乗りきって、試験終わりに高木先生と握手した記憶がある。これも熱出してる中の記憶だから捏造の可能性がある。数学の空間図形かなんかの問題の話をしてきて、こっちは目の前が歪んでんのに空間の話をされるから「やめてくれ!!」ってなった。

 

結果は国語がいつも通りで数学が48点(正答率激低の最後の問題を全部除いた数弱のMAX点数)、社会があんな勉強してたくせに52点、英語57点とかで理科が満点だった。英進館の理科の先生が安達先生という人で、死んだように生きているのか生きているように死んでいるのかわからないくらいのジジイだったんだけど、理科満点がわかった瞬間にそのジジイの顔が思い浮かんで、これでやっと顔向けできると思った。死んでた?

 

合格発表の後、その足で中学校に行って先生に報告をしないといけなかったんだけど、私が「筑紫丘受かりました」って言ったら高木先生が「よく追い込んだ!追い込んだ〜!」って言ってた。いま思うと競馬の実況みたいだ。伴走する友達がいればおおむね楽しく過ごせるもんですね。飽きたので話題を変えます。んで飽きるまで書きます。

 

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最近またちょくちょくと新鋭短歌のサイトを見るようになった。その中でダ・ヴィンチによく載っている印象で名前に見覚えがあったからクリックしたんだけど、鈴木晴香という人の作品がすごく好きだった。20首くらい載っていたけど

降る雪は白いというただ一点で桜ではない 君に会いたい

がいちばんよかった。目の前に広がるのは雪のはずなのに、存在しない桜と比較して否定するあたりから、春が「君」と出会える季節でそれ以外は何も価値を持たないんだな、というのが読み取れる。メッセージは「君に会いたい」の最後の七音に凝縮されていて、詩的な価値はそれまでに込められているんだけど、私が同じようなメッセージを短歌にしようと思っても「雪は桜ではない」とは思いつかないから書けない。そういう意味でいい歌だった。

 

短歌は31音と伝えられることが少ないぶん、受け取り手の感性や経験に依存する部分が多いと思う。だからこそ、いい短歌だと自分が思うものに遭遇した時は自分の感性をも褒めることができると思う。

 

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昨日久々にダーツしたんだけど驚くほど下手になってて泣いちゃいそうになった。肘ブレッブレ、スタンスズタズタ、体幹雑魚雑魚。メスガキもびっくりの体幹になっていた。学校と塾とがバランス取れだしたらスイミングでも行こう。カウントアップ、家で練習できてた頃は700~800くらい取れていたはずなんだけど、物の見事に350。特技とかろうじて呼べるものがだんだん減っていってる。料理もダーツも全然できてねえ。愛嬌で生きていくしかない。

 

あとはChatGPT-4くんがとても楽しい。何聞いても答えてくれるっていうのが良い。そりゃそうだろって感じもするが、とりあえず気になったことを聞いてみるのは楽しい。私の仕事は将来奪われるんですかね彼に……クリエイティブ系統はしばらくは大丈夫だと聞き及んでいるんですが、その能力の凄まじさを目の当たりにするとどうも危うい気がしてきた。アイデアと書く能力を含めたコミュニケーション力とセンス的なものが必要になるんだけど、そこの領域まで侵食されるんだろうか。なんか質問したら「そのくらい自分で考えてください」とか言われたらどうしよう。ググッてこいって言われたら泣いてしまうかも。パフォーマンスをする人は大丈夫だと思うけど、頭脳労働に類することをやる人は少なからず影響を受けるだろうし、とりあえず早めに慣れておいて損はないだろう。このまま続けたらギズモード・ジャパンみたいなブログになってしまうので終わります。1時間近く書いてた気がするな、精神は修養されました。さよなら。