頭に12ポンドくらいの球が乗ってる感覚

ギエー眠いッピ(伏線)

 

ミステリー小説、つい先日までは、自分にはなんとなく縁遠いものだと思って読んでいなかった。イメージで、ミステリーを好んで読む人は読書家の中でもかなり末期というか、頭がいいから推理も楽しめるんだろうなぁ、という偏見。

 

2ヶ月くらい前に人生で初めてちゃんと読んだミステリーが森博嗣すべてがFになる』だった。理系の大学准教授(当時)が書いた、もうカッチカチの理屈論理トリック&文体。冒頭の100ページくらいは「犯人も動機もトリックも全部当てたるぞ〜」と論理筋(ろんりきん)をピキピキ言わせつつ読んでいたんだけど、いつの間にか推理はどっかに消えていた。シンプルにストーリーが面白くてそっちが気になってしまうと、もう時系列を頭の中で整理してる余裕がない。死体が自動で動くワゴンに乗って運ばれてくる時点で、「あっこれ推理とかじゃないかもな」って思えたのもデカかったと思う。

 

そっからは早かった。『すべてがFになる』を第1作として始まるS&Mシリーズって名前のなんか性癖みたいな名前のシリーズ全10作を10日で読み終えるくらいにはハマり倒して読み切った。睡眠時間を計画的に削って読んだ。1日1時間ずつ削って、10作目を読む最終の土曜日の夜はバイト終わりに飯を食って23時頃に家に着いてそっから朝の10時くらいまでぶっ通しで読んでた。今思うとそんなことはする必要は全くもって無かったと思う。

 

その後は同じく森博嗣のGシリーズ5作(をつまみ食い)、四季シリーズ4作、短編集をそれぞれ1日ずつで読んで(この頃には推理なんてほぼせずストーリーメインで斜め読みするようになったから1時間で200ページ近く読めたので楽だった)、それから自分のKindleに積んでた伊坂幸太郎『クジラアタマの王様』、新しく買った井上真偽『その可能性はすでに考えた』、青柳碧人『浜村渚の計算ノート』、西尾維新悲鳴伝』を読んだ。4月半ばから現在までって考えると割と綺麗(?)な流れでまあまあ読んだ気がする。ミステリーおもろ、ってなった。

 

読み方、自分が推理する必要は無い、というのも探偵役は読者から文句が出ないようにするために常識的に考えうる全ての選択肢を検討するように描かれているから、読んでて納得感があるし推理してる人を観客として見てるだけで楽しい。その他の小説、日常系ストーリーだったりファンタジーだったりすると、登場人物に感情移入してその視点から世界観に浸るのが良さげな楽しみ方だとなるんだろうけど、ミステリーは感覚的にはコナンのアニメ観てるのと同じ。だ〜れもコナンに感情移入なんてしてないはず。よう気づくなぁ、って思いながら他人事として楽しく観察していればいい。

 

んで、興味あった本にやっとこさ数日前に着手することができた。

 

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東野圭吾白夜行

 

やっとこさ、ってのは800ページあるんだよこいつ。必要な時間と体力と気力がやっと揃ったという意味。読み通すのに1晩どころか2晩くらいの時間は要した気がする。今これ書いてる時間(朝10時)から推して知るべし。

 

率直な感想としては「ギエー眠いッピ」。ド頭に言った通り。回収だ。この本が 「面白い」「楽しい」「ためになる」の類じゃないのはそりゃそう(人が死んでいる)で、さらに作中時間で19年の出来事が一気に頭の中に入ってきたから頭が重い。伏線や「実はあん時こうでしたよ」ってのが終盤でザックザク回収されるから、脳の至る所の記憶がそれを思い出すために起動させられて、ヒエーギエーッピ。約8時間ほぼぶっ通しで本を読んだ人間の語彙力がこれになるんだから相当だと思う。今こうして文章にしてるのは自分の頭が爆発しないようにするための捌け口。

 

個人的な人生ベスト小説は西加奈子サラバ!』で、それもすげぇ長い。上・中・下と分かれてて多分800ページくらいにはなってた気がする。作中の経過時間のスケールがデカい話が好き。最初は子どもだったのにいつの間にか子ども産んでていつの間にか死んでて物語からフェードアウトしてる、みたいなの。読んでる側の私は明らかに神の視点に立っていて、時間や空間を超越した立場から世界を観察してる気になれるのがよい。何を言ってるんだ君、寝なさいよ。脈絡もめちゃくちゃだ。

 

白夜行は、その登場人物のほとんどが結果的には被害者であり、そのうち何人かが加害者(主人公2人がそう)として描かれるんだけど、その2人が闇を抱くまでに辿った経緯に感情移入ができないからずっと不穏だった。そりゃ可哀想だな、とかは当然思うんだけど、だとしても悪すぎるし、計算高すぎた。言ってしまったけど犯人は主人公の2人です(読めばみんな気づくしええやろ)。そもそも主人公なのかも怪しい、というのもその2人視点で描かれることが一切なくて、周囲の人間から観察された描写しかないため。

 

ほとんどの登場人物の性格は仄暗い上に、主人公二人の心情は全く描写されない、性描写は生々しいし痛々しい、人はだいたい不幸な殺され方をされる、ずっと何か悪いことが起こる前兆のような不穏さを感じる、とまぁ何重苦なんだって感じなんだけど、それでも一気に読み切れたのは話の奥行と構成と文章力の高さで引き込まれたからだと思う。人に勧められるタイプの話ではないが、読んでよかったと素直に思えた。じゃあこの文章はなに? さっき言っただろ、スケープゴートです。

 

ミステリーを読むことの実用的な効用が少しばかりあって、それは大量の間違った推論と一部の正しい推論を浴びることによって自分の中に考え方のフレームのようなものがインストールされることだと思う。眠いので多分わかりにくい書き方をしている、性格テストで言われたばっかなんだよ難しい言葉使う人だよねって。お前に何がわかるんだ、って性格テストにキレそうになった、そういうとこだと思うよ。

 

あとミステリーと全く関係ない気づきで、しかし白夜行読んでて気づいたことだけど、私はめっちゃ人を見た目で判断してると気づいた。ビジュいいキャラは極端に善人か極端に悪人のどっちかだと決め込んでた。善人はそれ自体がまあ魅力だし、悪人はおそらく善人より魅力的だと思う。んでそれを現実世界にも何となく価値観として持ってるんじゃないだろうか。面食いって言えばそれまでなんだけど、進んで関わりたいと思う人はだいたい見た目がいいと感じるところから入ってる気がする、男女関係なく。そして少しくらいは性格に棘がある人が好き。聖人君主たる人には引け目を感じてしまうのかも。

 

あとはもう散文的に秩序立てず思った・感じた・考えたことを書く。

 

・創作の世界では浮気や不倫が描かれがちだけどその理由はヒキがあるからという一点に尽きる。現実で浮気的な行為に踏み込んでる人ほとんど観測したことない。だいたいみんな円満に付き合ってる。まぁ私の両親は不倫が原因で離婚したんですが……

 

・彼氏や彼女が居る人を好きになった人には真っ先にどういう心情が来るんだろう。罪悪感か敵意か、少なくとも平穏な高揚ではないんだろうが。いや人のボケモンにボール投げんなよ、というミーム攻撃をしておく。まぁ私の両親は不倫が原因で離婚したんですが……

 

・5月は意識的に本や映像(映画、ドキュメンタリー、お笑い)をインプットするようにした月だった。勉強も兼ねているので……という言い訳をしたいが課題は締切ギリギリになっている。新喜劇の台本が重たすぎる、コンプラポリコレと一番相性悪いし、私が好きなのは一種の不謹慎さが持つ「ヤバいもの観てる感」なので、すなわちそういった制約の強さの前の私は偏に風の前の塵に同じ。

 

・先月の個人的なベストは小説だと宮島未奈『成瀬は天下を取りに行く』で、映画は『少女は卒業しない』(U-NEXT課金様々)、ドキュメンタリーだとプロフェッショナルの旅客機パイロットの回(174とかだった気がする)、お笑いはさらばの単独の四季折々(これもゆーねくすと)だった。ロングコートダディの動画も見漁った、好きだった。誰の何を書くことになるかわからんしそもそも書く側の仕事になるのかもわからんがとりあえずコント師を中心にいっぱい観ようとしている。可処分時間の殆どを費やすほどのお笑いファンではないから好きなものをとりあえずは観る。周りの人ら(と言っても一部なんだろうけど)はすごい観ててびっくりした。隣の席だった同い年くらいの女の子と話す機会があって、私が「令和ロマンが2年前の準決だかでやってた町工場ってネタが好きで〜」って言ったら「あ〜2020の2回戦のやつだ!面白いよね〜」って返された。やべ〜